ガンダム(ショップ)、日本橋に建つ [おたく]
昨日は夕方から、大学の先輩で青心社で編集者をしているOさんと、日本橋にリニューアルオープンして、日本最大のガンダムグッズ専門店となったGundam’sを見に行ってきた。我ながら物見高いことである。(^_^;;
2階からなる店内は、1階では本、ゲーム、DVD、CD、おもちゃ、衣類が、2階ではプラモデルと工作用&塗装用器具類が、それぞれ販売されており、まさに店の隅から隅までガンダム関連商品であふれていた……が、アニメイトやゲーマーズで売っているような類の小物はほとんどなくて、Oさんと二人で「直球勝負ってゆうか、初心者おことわりってゆうか、上級者向けの店かもね」とささやきあってしまった。二人とも、実はこの手の商品にはあまり興味がないので、よけいそう感じただけかもしれないけどね。
それにしても驚いたのは、(噂には聞いていたものの)日本橋の電気街が秋葉原同様、おたく街化がかなり進んでいたこと。Oさんによれば、それでなくてもここ数年、家電専門店は苦しくなってきているのに、梅田にヨドバシカメラの巨大な店舗ができたせいで、いよいよ日本橋の空洞化が進みつつあり、それと入れ替わるようにおたく系店舗の進出が続いているのだとか。
【夕方の日本橋】
通りのこちら側を見ていれば、昔ながらの電気街なのだが……。
【おたく街化した日本橋】
……通りの反対側はおたく系店舗が立ち並んでいるのだった。
【アニメイト】
【ボークス】
通りをもう少し行くと、海洋堂もある。
【まんだらけ】
こちらも、通りを一本裏に入れば、とらの穴もある。
【信長書店】
いわゆる、アイドルの写真集やポルノビデオ、エロ本類の店。
【ガンダムズの看板】
全高18メートル、すなわち実物大(て言うのか?)のガンダムが描かれた店の看板。
【ガンダムズ】
店内は撮影禁止だったので……、
【ガンプラ!】
……店頭のショウウインドウに展示されていたガンプラだけでも。
sampo
2004年07月23日07時02分43秒 | Permalink | コメント(7) | Trackback(0) |
「わたしはおたくです」と言うのをやめる [おたく]
例会では、先日からの「おたく」話についてもちょっと話題になりました。
青井邦夫さんは「ぼくは堺くんの言ってる方に近いかな。東京でもぼくらのまわりはああだったよ」という支持をしてくれました。こうなると、やっぱりなるべく大勢に当時の感想を聞いて、年齢と地域別の意識差勢力分布図とか作ったらおもしろいかも。もしかしたら、当時のSFファン対アニメファンみたいな構図もどのへんで対立していたかがはっきりしたりして。
と「おたく」のレゾンデートルに執着しているわたしに対して、いつも冷たい添野知生さんは「ダメですよ、堺さんを図にのせちゃ」と言いつつ、おたくの語源が83年にあろうが「ぼくにとって大事なのは78年と79年(『スター・ウォーズ』と『ガンダム』の年)なんで、83年頃とかがどうとか、あんまり興味ないなあ」と自分の世界観を教えてくれました。たぶん、あくまでも添野さんにとっては、どんな作品が生まれて、それが次の作品群にどんな影響を与えたかが重要なんで、受け手側の意識の変化について語ることにあまり興味がないんだと思います(間違って解釈してたらごめんなさい>添野さん)。
そして、それはそれですごく正しい態度だとも思います。だって、「おたく」について語ることの陥るもっともダメな問題は、常にくだらない自分語りに終始する危険があるってことだから。
まあ、わたしも実はずいぶん反省してまして、タニグチリウイチさんや小川びいさんの言う「おたく」が大勢で、わたしのようなタイプは、東京や大阪といった都市部に少数しかいなかったのだということを受け入れてもいいような気もしてきました。
(これについては、先日の大森望さんたちのトークショウの二次会で、小川さんから興味深い話を聞きました。小川さんによれば、83年頃の東京の小川さんの周辺では「おたくとして何を取るのか、選択を強いられた」というのです。要は「SFをとるのか、アニメをとるのか、それとも他の何かをとるのか」選ばなきゃいけなかったと。これに関しては、氷川竜介さんあたりとも認識は一致しているとも。一方、わたしの感覚では70年代末以降、小説もマンガもアニメも映画もパソコンもゲームも、いろんなジャンルをミックスして「何かを選ばない」ところからおたくが生まれたと思っていたので、その差はすごく大きいという気がします。88年以前の東京のことは、ホントに全然知らないので、もっといろいろ聞いてみたい気が。ていうより、小川さんも自分の個人ホームページ作りませんか? 楽しいよ。(^_^))
というより、堺三保はおたくじゃないってことを受け入れようかと。
思い入れているものも、思い入れの在り方も、全然違うんだから。ムリに同じカテゴリーに入れて「オレの考えてるおたくはこうだ」なんて言うから、どうしても話が合わないわけです(って、それはおまえだ>じぶん)。
「おたくであることを大声で宣言して、みんなと一緒にオレも引き受けよう」なんて過度に思い入れてるから、おたくについての自分の規範にこだわっちゃうわけですわ。普通に考えてみりゃ、誰もそんなこと頼んでも期待してもいないんだし、ただの大きなお世話でしょう。
20歳の頃(つまり83年頃)は、世間に対する反発心から(やっぱりいくらまわりに仲間が多くても、それなりに抑圧は感じていたわけで)本気でそんなことを考えてた(いったい何様のつもりだったんでしょうな?)わけですが、40歳にもなって、そんなこと言ってても大人げないだけかもしれないし。
まあ、実際「おたく」の看板をはずすかどうかはともかく、「おたく」について語るのはこれを最後として、今後はいっさいやめようと思います。それよりもっと他に、すべきことはいくらでもあるんだし。
うーーん、しかし、最近、いろんなものバンバンふっきってるなあ、オレ。この調子でいけば、いよいよ本もドバーッと捨てられそうな気が。(^_^;;
sampo
2004年04月04日02時16分18秒 | Permalink | コメント(3) | Trackback(0) |
我が懐かしの80年代 [おたく]
では、わたしにとっての80年代とはどんな時代だったのか?
端的に言ってしまえば、それは、前半は「何かが変わる」という希望に満ちた至福の時代であり、後半は「何も変わらない」という絶望に満ちた時代だった。
ここで言う「何か」とは、いわゆる「サブカルチャー」的なものであり、その中から傑作が飛び出し、市民権を得ていく過程が次々に自分の目の前に現れて(いくように見えた)ことによって、今は「変化の時代なのだ」という希望をわたしは持ってしまったのだ。
問題は、そういった「何か」が、『「おたく」の精神史』の第1部と第2部で「サブカルチャー」として触れられているものと、ほとんどかすりもしていないところにある。
大塚史観には悪いが、わたしには「新人類」も「漫画ブリッコ」も「岡田由希子」も「黒木香」も「フェミニズム」も「関係ない」ものだったからだ。
わたしにとっての80年代、というより70年代末から80年代前半は、
ジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』でSFX映画を変え、
富野由悠季が『機動戦士ガンダム』でテレビアニメを変え、
スティーヴン・ボチコが『ヒルストリート・ブルース』でテレビドラマを変え、
高千穂遙と夢枕獏と菊池秀行がヤングアダルト向き小説(のちにライトノベルという言葉が生まれるがそれはずっとあとのことだ)を変え、
アラン・ムーアとフランク・ミラーがアメコミを変え、
アップルとNECのパソコンが個人の手にハイテクを渡すことで世界を変え、
TRPGとファミコンがゲームを変え、
サイバーパンクがSFを変え、
わたしの大好きなすべてのサブカルチャーが「くだらないもの」として世の中から無視されるのではなく、主流の文化として人々に語られるようになる(という夢を見ることができた)時代だったのだ。
そして、「おたく」こそ、なりふりかまわず、他人の視線を無視して、それらのメディアをクロスジャンル的に縦横に享受する存在だった。
このとき、自らを「おたく」と呼ぶことは快感ですらあった。
それは
「くそくらえ! 誰がなんと言おうと、オレは@@@(ガンダムとかRPGとかなんでも好きな単語を入れて欲しい)がおもしろいと思うぞ。オレは@@@が好きなんじゃ。悪いか?!」
という決意表明だった。
80年代前半、他者から与えられた「おたく」という差別語を、おたくたちはあえて開き直って引き受けてみせたのだ。
そこには、『「おたく」の精神史』の第3部で語られている物語の大量消費のような「後ろ向き」の姿勢は、受け手にも送り手にもなかったはずだ(と、わたしの主観はそう信じていただけかもしれないが)。
ただ、わたしの希望は、確かに80年代後半から90年代前半にかけて裏切られ続けることになった。
結局、映画もアニメもテレビドラマもライトノベルもアメコミもSFも、技術的には進歩を続けるものの、内容的には、一部だけが先鋭化し続けたものの、大部分は振り子が逆に振れるように、陳腐化したり保守化したりしていったし、パソコンもゲーム機も他人と接触しない個人というタコツボを作り上げていくだけだったのだ。
このとき初めてわたしは、上の世代が味わってきたのであろう「高揚感と挫折感」を自分のものとして体感したと言ってもいい。
そして、このときの「世界は変わらなかった」というか「日の下に新しきものなし」という感覚こそが、95年、ようやく『新世紀エヴァンゲリオン』に巡り会えて、渇きを癒すことができたものの、「どうせまたいつか同じことが起こる」という予感となって、狂騒する自分より下の世代に対する冷たい目線を生んでいるもとであり、それは「萌え」を巡る議論においても、常にわたしを捉えたままである(まあ、下の世代から「イヤなオヤジ」だと思われてもしかたないわな、これは)。
まあ、つまりわたしにとっての80年代とは、カート・ヴォネガット風にいえば、人生とか歴史というのは「そういうものだ」ということを思い知った時代だった。ま、それを青臭い言葉で「青春」というのだよな。
さらに言えば、わたしの持つ『「おたく」の精神史』に対する最大の違和感は、80年代を隘路と捉え、その延長線上にある90年代を袋小路と捉えて、それぞれ特別視して危惧する視点である。
80年代のおたく文化の勃興と終焉は、90年代後半(というより、やはり2000年代と言うべきか?)の萌え文化の勃興(と、たぶんこれから迎えるであろう変質と終焉)と対比されるものであり、あの本で書かれていたような絶望感だけに満ちた後戻り不能なものではないはずだ。
歴史はくり返されつつも緩やかにそして確実に変化していくものであり、常に「今が一番おもしろい」はずなのだ。80年代末の絶望から、わたしは逆説的にそんな楽観的世界観を持つに至っているのである。
sampo
2004年03月17日09時26分37秒 | Permalink | コメント(15) | Trackback(0) |


