我が懐かしの80年代 [おたく]

 では、わたしにとっての80年代とはどんな時代だったのか?
 端的に言ってしまえば、それは、前半は「何かが変わる」という希望に満ちた至福の時代であり、後半は「何も変わらない」という絶望に満ちた時代だった。

 ここで言う「何か」とは、いわゆる「サブカルチャー」的なものであり、その中から傑作が飛び出し、市民権を得ていく過程が次々に自分の目の前に現れて(いくように見えた)ことによって、今は「変化の時代なのだ」という希望をわたしは持ってしまったのだ。

 問題は、そういった「何か」が、『「おたく」の精神史』の第1部と第2部で「サブカルチャー」として触れられているものと、ほとんどかすりもしていないところにある。
 大塚史観には悪いが、わたしには「新人類」も「漫画ブリッコ」も「岡田由希子」も「黒木香」も「フェミニズム」も「関係ない」ものだったからだ。

 わたしにとっての80年代、というより70年代末から80年代前半は、

ジョージ・ルーカス『スター・ウォーズ』でSFX映画を変え、
富野由悠季『機動戦士ガンダム』でテレビアニメを変え、
スティーヴン・ボチコ『ヒルストリート・ブルース』でテレビドラマを変え、
高千穂遙夢枕獏菊池秀行がヤングアダルト向き小説(のちにライトノベルという言葉が生まれるがそれはずっとあとのことだ)を変え、
アラン・ムーアフランク・ミラーがアメコミを変え、
アップルNECパソコンが個人の手にハイテクを渡すことで世界を変え、
TRPGファミコンがゲームを変え、
サイバーパンクがSFを変え、

わたしの大好きなすべてのサブカルチャーが「くだらないもの」として世の中から無視されるのではなく、主流の文化として人々に語られるようになる(という夢を見ることができた)時代だったのだ。
 そして、「おたく」こそ、なりふりかまわず、他人の視線を無視して、それらのメディアをクロスジャンル的に縦横に享受する存在だった。
 このとき、自らを「おたく」と呼ぶことは快感ですらあった。
 それは
「くそくらえ! 誰がなんと言おうと、オレは@@@(ガンダムとかRPGとかなんでも好きな単語を入れて欲しい)がおもしろいと思うぞ。オレは@@@が好きなんじゃ。悪いか?!」
という決意表明だった。

 80年代前半、他者から与えられた「おたく」という差別語を、おたくたちはあえて開き直って引き受けてみせたのだ。

 そこには、『「おたく」の精神史』の第3部で語られている物語の大量消費のような「後ろ向き」の姿勢は、受け手にも送り手にもなかったはずだ(と、わたしの主観はそう信じていただけかもしれないが)。

 ただ、わたしの希望は、確かに80年代後半から90年代前半にかけて裏切られ続けることになった。
 結局、映画もアニメもテレビドラマもライトノベルもアメコミもSFも、技術的には進歩を続けるものの、内容的には、一部だけが先鋭化し続けたものの、大部分は振り子が逆に振れるように、陳腐化したり保守化したりしていったし、パソコンもゲーム機も他人と接触しない個人というタコツボを作り上げていくだけだったのだ。

 このとき初めてわたしは、上の世代が味わってきたのであろう「高揚感と挫折感」を自分のものとして体感したと言ってもいい。
 そして、このときの「世界は変わらなかった」というか「日の下に新しきものなし」という感覚こそが、95年、ようやく『新世紀エヴァンゲリオン』に巡り会えて、渇きを癒すことができたものの、「どうせまたいつか同じことが起こる」という予感となって、狂騒する自分より下の世代に対する冷たい目線を生んでいるもとであり、それは「萌え」を巡る議論においても、常にわたしを捉えたままである(まあ、下の世代から「イヤなオヤジ」だと思われてもしかたないわな、これは)。

 まあ、つまりわたしにとっての80年代とは、カート・ヴォネガット風にいえば、人生とか歴史というのは「そういうものだ」ということを思い知った時代だった。ま、それを青臭い言葉で「青春」というのだよな。

 さらに言えば、わたしの持つ『「おたく」の精神史』に対する最大の違和感は、80年代を隘路と捉え、その延長線上にある90年代を袋小路と捉えて、それぞれ特別視して危惧する視点である。
 80年代のおたく文化の勃興と終焉は、90年代後半(というより、やはり2000年代と言うべきか?)の萌え文化の勃興(と、たぶんこれから迎えるであろう変質と終焉)と対比されるものであり、あの本で書かれていたような絶望感だけに満ちた後戻り不能なものではないはずだ。
 歴史はくり返されつつも緩やかにそして確実に変化していくものであり、常に「今が一番おもしろい」はずなのだ。80年代末の絶望から、わたしは逆説的にそんな楽観的世界観を持つに至っているのである。

sampo

2004年03月17日09時26分37秒 | Permalink | コメント(15) | Trackback(0) |




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■ Unknown
 80年代前半、他者から与えられた「おたく」という差別語を、おたくたちはあえて開き直って引き受けてみせたのだ。
小川びい (2004-03-17 12:07:29)

■ こんにちは
ごぶさたしてます。下は投稿失敗です。
僕自身は、タニグチさんと同じで、当該の本とのフィット感が強いんですが、それはともかく。

【80年代前半、他者から与えられた「おたく」という差別語を、おたくたちはあえて開き直って引き受けてみせたのだ。】

この記述って本当でしょうか? そもそも「おたく」という差別語が生まれた時期自体、83年なので、80年代前半には引き受けようがないと思うのですけど。

小川びい (2004-03-17 12:12:38)

■ 83年って前半じゃないの?
でもって、あの本にも書かれてたけど、中森明夫が言いだしたときにはもはやみんな「おたく」っていう言葉使ってたから、あっという間に流布したし。
で、すくなくともわたしの周辺、つまり大阪のキタで毎週集まっていたいろんなサークルの人たちは、「ええやん、おれら、おたくで」って言って、すぐさま引き受けたんだよ。
堺三保 (2004-03-17 12:15:54)

■ Unknown
てゆーか、それまで名前がなかった運動体に名前がついた瞬間だったということなのかな>83年。
で、その春はあっという間に終わるわけです。
『「おたく」の精神史』の中で、わたしが唯一強くフィットした部分は、293頁の「ぴあの敗北」の節かな。
あれは「ぴあ」だけじゃなくて「おたく的価値観」(だとわたしたちが思っていたもの)が、新しい「オタク」観に敗北したって事象を端的に表してると思うから。でも、それですら、インターネットの時代においてはくり返しが行われてる気がするから、あまり悲観してないけど。
あと、あの本は「日本」のことだけに終始してるのがすごく違和感がありますな。
わたしにとってのおたく文化っていうのは、日米地続きで相互に干渉し合ってるものだという認識なので。
そのへんはみんなどう思ってんでしょね?
堺三保 (2004-03-17 12:23:59)

■ Unknown
83年に差別語ができたら、(差別語として流布するスパンを考えれば)「引き受け」られるのは、早くとも84年以降では? それを「前半」とするのは、無理があるのではありませんか。

OUT誌なんかを見ればわかりますけど、「汚いデブ」or「ミーハー」or「マニア」差別というのは、80年代を通じてずっとあって、それを「他者」から名づけられた、とするのも、どうも納得いかないなあ……。
小川びい (2004-03-17 13:44:11)

■ とはいえ
大阪のコミュニティでは、誌上で発表されてすぐに、「おたく」の話題がのぼったというのが本当なら、それはそれで興味深いお話ですね。

僕自身は、東京でそうしたコミュニティのトバ口に立つか立たないかでしたが、あまり話題になった記憶がないなあ……。
小川びい (2004-03-17 14:27:05)

■ うーーん
 正直、小川さんが何を問題として感じているのか、わたしにはあまりわからなかったりするんですけど……。

 83年や4年が前半かそうでないかとか(でも後半じゃないよね、明らかに)、すごく些末なことだし、先にも書いたとおり、「おたく」という名称が定着するのは83年以降だけど、おたく文化が育まれたのは70年代後半からなわけ(それが崩壊を始めたのが87年以降だし)だし。

 また、「おたく」という言葉を使っていたわたしたちが、「おたく」という人種であるというように他者である中森明夫から命名されたということ、そして、わたしたちが逆ギレしてその名称を引き受けたことと、おたくに対する蔑視がずっと続いていたことは、別に互いに矛盾する出来事じゃないと思うし。
堺三保 (2004-03-17 15:59:17)

■ てゆうか、
>大阪の……本当なら……
とか、
>僕自身は、東京で……記憶がないなあ……。
というのは、つまりは場所と時間がずれているせいで、大塚英志氏とわたしの体験や認識がずれているように、小川さんとわたしのそれもずれているから、それに対して違和感を覚えているだけなんじゃないの?
大塚氏も本の中で書いてるけど、それはそれぞれが自分の持っている違和感を、自分の主観に従って主張してみせればいいことであり、それが必要とされていることなんじゃないでしょうか。

というか、わたしのこの記事はまさにそういうものだし、小川さんのそれをこそわたしは知りたいなあ。

それとも、そういうアプローチ自体を否定してるわけ?
堺三保 (2004-03-17 16:07:42)

■ 何が気になるかというと
僕はわりとそうした話を人から聞くのが好きで、いろいろ聞いている方だと思うのですが、堺さんの「私感(史感)」って独特で、(自分も含めて)他の方の話とのすりあわせができないんです(場所や時間軸の問題とは少し違う感じなんですよ)。だから、細かい事実を確認したくなるわけです。

それにほら、関西の方の話って、サービス過剰になりがちですし。

絡んでいるように見えたらごめんなさい。それでは。

小川びい (2004-03-17 18:35:42)

■ たとえばガイナの武田さんに聞いた?
武田さんがわたしとまったく違うことを言っていたとしたら、そりゃもうわたしが自分の史観を再確認しないといけなくなりそうなんだけど。

でも、やっぱり時と場所がでかいと思うなあ。
なんせ、83年の大阪といえば、夏にDAICON4があって、熱に浮かされたような高揚感が漂ってましたからね。

逆に言うと、わたしには小川さんが聞いた話というのが、想像の埒外なので、くり返しになっちゃうんだけど、ぜひ聞いてみたいですよ。いつ頃どこにいた何歳くらいの人の話かも含めて。
あと、やっぱり小川さん自身の話ももっと知りたいなあ。
何がそんなに違うと感じるのか、さっぱりわからないんだもの。
堺三保 (2004-03-17 22:06:20)

■ あと、氷川竜介さんは?
わたしは東京のことはわかんないんだけど、たとえばロトさんというか氷川さんに、東京における80年代観やおたく観を聞いたら、どういう返事を得られるんでしょう?
堺三保 (2004-03-17 22:18:45)

■ もちろん
もちろん、氷川さんには話をうかがっています。むしろ、僕は、氷川さんや中島紳介さん、加えれば大森さんなんかの書かれたものに影響され、あるいは反発することで形成されたと、強く意識しています。

そのうえで、いろいろな方と話して感じるのは、80年代の初めに「何か」が起こり、それが決定的に、その後のサブカルチャーの(あるいは消費文化の)20年を支配している、ということです。これは僕だけの感覚ではなく、大塚さんの今回の本を支えているのもその感覚でしょうし、おそらく氷川さんは僕よりもっとそれを意識しているはずです。コミケの中心スタッフや、アニメスタッフの何人かもそうだと思います。
小川びい (2004-03-18 00:59:38)

■ つけくわさせていただくと
それは、堺さんが書かれたような、あるムーブメントの勃興と終焉といったコンドラチェフの波といったようなものとは、もうちょっと別のものに対する感覚のように思うのです。アニメにしろ、声優にしろ、同人誌即売会にしろ、80年代以前から現在まで、そうした激しい波を少なくとも3度は経験しているわけですから、それだけならむしろ珍しくもない。そうではなく、ブラキストンラインのような、決定的な切断と言ってもいいものがあったのではないか、と。

今回の大塚さんの本に対する感想を見ていると、その決定的な感覚を共有していない人がむしろ多いことに、僕などは驚きと軽い苛立ちを覚えるのですが……。
小川びい (2004-03-18 01:04:22)

■ 決定的な切断
その決定的な何かって、具体的にはなんだったと思います?>小川さん。

わたしはやっぱり、それが決定的な何かじゃなくて、欧米日の20世紀文化を貫くうねりの一つであって、繰り返しながら前進しているという立ち位置なので、あの地点にだけその前後にはない特別な何かがあるという意見の論拠をもっと教えて欲しいです。

これはすごくおもしろい話だと思うなあ。
堺三保 (2004-03-18 01:33:53)

■ すいません
それが何か、というのは率直に言って、よくわかりません。というか、それを少しでも明らかにしたいと思って、アレコレ仕事しているわけです(と、信じたい)。

ただ、直感的には、「20世紀文化」という視点は、20年前に起こったパラダイムシフトをむしろ見えにくくしてしまうんじゃないか、と感じます。
小川びい (2004-03-18 03:32:40)

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